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新潟市生粋(キッスイ)文政元年よりの日本料理下田 


 


   
料亭「生粋」

食堂「生粋」


951-8053
新潟県新潟市中央区川端町五丁目37番地
TEL 025−222−2068 
FAX 025−222−2311

営業時間

お座敷 昼11時〜夜22時
食堂   昼11時〜14時  夜17時〜20時

お料理

お座敷 昼 お弁当 松3,360円 竹2,625円
        ミニ会席 3,150円 会席料理6,300円〜
      夜 ミニ会席 4,200円 会席料理6,300円〜

定休日

毎週月曜日

駐車場等

駐車場完備(飲酒後の運転はなさらないで下さい)
タクシーなど乗降はゆったり

上品で雅。華やかで粋。ゆったりと寛いで、季節の味覚を堪能できる「生粋」の創業は、過去帳が記すように文政元年(1821年)に遡ります。
屋号も「日本料理下田」「大島亭」と経て、現在の「生粋」となったのは大正の頃です。当初営業していた古町では明治に2度の大火が重なり、明治
末には東堀前通九に移転。
川端町に来ましたのは昭和七年の埋め立てで川幅が狭くなったのを機に、川が
見渡せる場所に建てられたという次第です。
様々な時の移ろいの中でも老舗料亭の味はそのままに、いつも最上のおもてな
しでお客様をお迎えしております。
新潟の観光の道すがらご利用下さい。 


生粋は重要文化財の萬代橋(ばんだいばし)のすぐ近くに位置します


萬代橋
信濃川に架かる、重要文化財の萬代橋(ばんだいばし)。
御影石(花崗岩)が化粧板として使われる橋脚は年代と風格が感じられる。

 新潟市近郊の名所や旧跡も多数あります。


 

 (新潟市内より車で30分くらい)逆さ竹 さかさだけ

親鸞聖人が国府から鳥屋野へ来られ、草庵をむすんでお念仏の教えを説かれていた頃、親鸞聖人は人々に教えをひろめようとされました。
しかし誰一人聴こうとしませんでした。
親鸞聖人は 「我が拡むるところの仏法、もし仏の意に適うなら、この枯れた竹に必ず芽も根も生じるであろう」 と持っていた竹の杖を大地に突き射されました。
その言葉のとおり、やがて竹の杖に根が張り芽が出ました。
この竹は親鸞聖人が逆さに杖を刺されたのか、枝葉が下に向いて繁茂し、後に立派な竹藪となりました。
大正11年国の天然記念物に指定されています。

真宗大谷派
鳥屋野院西方寺
新潟市中央区鳥屋野3丁目
黒埼I.C.より車で5分
 
 

 (新潟市内より車で30分くらい)焼鮒 やきふな

鳥屋野の対岸に山田という集落がありました。聖人は鳥屋野の草庵から山田にもお念仏を伝えにおいでになっていました。
建暦元年十一月、流罪をゆるされた聖人は、鳥屋野の草庵を出立され、信徒と共に山田で別れの宴を催されました。
その折、信徒の一人が焼いた鮒を聖人に献じました。
聖人は、つけていた袈裟を傍らの楠にかけて、「わが真宗のみ法、仏意にかない 念仏往生間違いなくんばこの鮒 かならず生きるべし」と念じ、この焼いた鮒を近くの山王神社境内の池に放されたところ、不思議にも鮒は生き返って泳ぎ出したと伝えられています。
それ以来、この付近の鮒には、焼いた跡のように色が黒く残っているとのことです。
また、寛政八年、山王神社境内の大楠の枝が大風のため折れてしまったので切ったところ、切り口に親鸞聖人のお姿焼き鮒の形が現れました。
人々は聖人の偉徳の現れとして山王神社の神官田代家に安置し聖人を偲ぶようになったとのことです。

真宗大谷派
山田院焼鮒山 誓慶寺
新潟市江南区平賀210
新潟中央I.C.より車で約10分
田代家 
新潟市西区山田646
黒埼I.C.から車で約5分


 (新潟市内より車で30分くらい)数珠かけ桜 じゅずかけざくら 

親鸞聖人が、しばらく逗留していた小島の庵を出立されるときに、その手に掛けられた百八の数珠を道端の桜の木にかけ、そして「わが弘むる他力本願のみ法にいつわりなくば、花房、数珠のごとく咲くであろう」と言い置かれた。
その通りに、今に至るまで、薄桃色の花が、数珠の房のように長くたれ下って咲くようになったと言われています。この桜の木は、昭和2年、国の天然記念物に指定されています。

浄土真宗本願寺派
小島の梅護寺   (八房の梅と数珠掛け桜の二つ)
阿賀野市京ヶ瀬小島
磐越高速新津インターより車で10分くらい
 

 (新潟市内より車で30分くらい)八房の梅 やつふさのうめ 

小島の里での布教の途中、親鸞聖人は一軒の家に宿を借りました。
そしてその家の夫婦に、「世路にまぎれて生きる者の、生死を出づべき道は、本願の念仏を聞き、他力廻向の信心のほかにありえない」とお話になられました。
それを聞いた夫婦は涙を流してお念仏の教えを喜び信心しました。
夫婦がお膳に出した梅干しを、親鸞聖人は手にとり、
「弥陀の本願を信じまいらせ浄土往生疑いなくば、この漬けたる梅より芽を生じ、花一輪に八つの実を結んで末代まで繁り栄え、凡夫往生の証拠となるべし」と念じて庭前に埋められました。
やがて枝葉は四方にひろがり、花八重の紅の梅の花が咲き、一輪の花に八つの実を結ぶようになったと伝えられます。

浄土真宗本願寺派
小島の梅護寺   (八房の梅と数珠掛け桜の二つ)
阿賀野市京ヶ瀬小島
磐越高速新津インターより車で10分くらい

 

 (新潟市内より車で60分くらい)繋ぎ榧 つなぎがや

ある日親鸞聖人が、護摩堂山 護摩堂城の城主宮崎但馬守に招かれて参上し、み仏の法話を説かれた折、城主は、お茶受けにと榧の実をさし出されました。この榧の実は、農民が年貢米の代りに納めたり、飢饉や洪水でお米の穫れない時に食用にしたもので、糸を通して珠数のように繋いで保存していたそうです。
親鸞聖人ほ、その一粒を地に植えて仏縁を説かれたところ、芽を出して生え茂り、実を結んだそうです。
しかも不思議なことに、青々とした葉が表と裏ひっくり返しになっていて、これをお手返しの榧とも呼んでおります。
  「我が跡を慕うて来いよ繋ぎ榧 み法のあとを通すひとすじ」
と聖人は詠まれています。
了玄寺の庭にある天然記念物の榧の老木(樹齢760年)は、500年ほど前、城跡から移植きれたものと伝えられています。

真宗大谷派 了玄寺
南蒲原郡田上町湯田上
JR信越本線田上駅から徒歩20分
 


 (新潟市内より車で40分くらい)三度栗 さんどぐり

親鸞聖人が保田の里に布教に来られたおり、一人の機織りのお婆さんが、お念仏の教えにたいそう喜びました。お婆さんは、たまたま持っていた栗の実を焼いて親鸞聖人にさしあげました。
そして、お名号の交付を願いました。しかし、その場には一枚の紙もありません。
お婆さんは、たまたまそこにあった大切な織りかけの布を裂いてさし出し、聖人はその布に「南無阿弥陀仏」と書してお与えになりました。
聖人はその後、お婆さんからもらった焼栗を、帰る途中で「上野が原新山」というところで土に埋め、「わが勧むる弥陀の本願、末世に繁盛いたすならば、この栗ここに根芽を生じ、一年に三度花咲き実るであろう」とおおせになりました。
その言葉通り、栗の木は1年に三度花と実をつけたと伝えられています。
また、1枚の葉の先が2枚に別れて成長したともいわれています。
当時の木は枯れてしまいましたが、現在では若木が育ち、今でも1年に3度実をつけています。

真宗大谷派
焼栗山 孝順寺
阿賀野市保田
JR羽越本線水原駅からバス「石間中(いしまなか)」行(2時間に1本)に乗り、15分「横町」下車、徒歩2分
 





 











 









 
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