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新潟県・越後の七不思議 
         親鸞上人の遺徳

越後の七不思議(ななふしぎ) 親鸞上人の遺徳。小島の八房の梅、小島の数珠掛け桜、田上護摩堂山の繋ぎ榧、山田の焼きフナ、鳥屋野の逆さ竹、片葉の葦、三度栗 新潟県内各地に点在。

 越後の七不思議とは

仏日には仏壇のご先祖にお経を


ご先祖の仏日には、ラジカセでお経のCDなどをかけています。

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浄土真宗の開祖「親鸞上人」750年忌





 



親鸞上人
浄土真宗の開祖
として知られています 。
承元元年(1207年)、親鸞聖人は念仏布教の咎(とが)により京都を追われました。
師の法然上人は四国に、親鸞聖人は越後に流罪となりました。
四国へ流罪となられた法然上人とは今生の別れでした。
親鸞聖人は、越後国府(現在の上越市、五智国分寺)に2年ほど居られましたが、その後蒲原地方を行脚され、信濃河畔鳥屋野(現在の新潟市)に住まわれていました。
建暦元年の流罪赦免になるまでの約5年間、各地で説法に努められた際、幾多の不思議な出来事が起こったと言われています。
これが親鸞聖人の「越後の七不思議」と珍重され、いつしか聖人を慕う人々の心の現れとなって、聖人の遺徳を偲び訪れる人々が絶えなくなりました。
その中には学術的に貴重なものとして国の天然記念物に指定されたものもあります。

 八房の梅 やつふさの梅 八房の梅

小島の里での布教の途中、親鸞聖人は一軒の家に宿を借りました。
そしてその家の夫婦に、「世路にまぎれて生きる者の、生死を出づべき道は、本願の念仏を聞き、他力廻向の信心のほかにありえない」とお話になられました。
それを聞いた夫婦は涙を流してお念仏の教えを喜び信心しました。
夫婦がお膳に出した梅干しを、親鸞聖人は手にとり、
「弥陀の本願を信じまいらせ浄土往生疑いなくば、この漬けたる梅より芽を生じ、花一輪に八つの実を結んで末代まで繁り栄え、凡夫往生の証拠となるべし」と念じて庭前に埋められました。
やがて枝葉は四方にひろがり、花八重の紅の梅の花が咲き、一輪の花に八つの実を結ぶようになったと伝えられます。

浄土真宗本願寺派
小島の梅護寺   (八房の梅と数珠掛け桜の二つ)
阿賀野市京ヶ瀬小島
磐越高速新津インターより車で10分くらい

 数珠掛け桜 数珠かけ桜 じゅずかけざくら 

親鸞聖人が、しばらく逗留していた小島の庵を出立されるときに、その手に掛けられた百八の数珠を道端の桜の木にかけ、そして「わが弘むる他力本願のみ法にいつわりなくば、花房、数珠のごとく咲くであろう」と言い置かれた。
その通りに、今に至るまで、薄桃色の花が、数珠の房のように長くたれ下って咲くようになったと言われています。この桜の木は、昭和2年、国の天然記念物に指定されています。



浄土真宗本願寺派
小島の梅護寺   (八房の梅と数珠掛け桜の二つ)
阿賀野市京ヶ瀬小島
磐越高速新津インターより車で10分くらい
 


 逆竹 逆さ竹 さかさだけ

親鸞聖人が国府から鳥屋野へ来られ、草庵をむすんでお念仏の教えを説かれていた頃、親鸞聖人は人々に教えをひろめようとされました。
しかし誰一人聴こうとしませんでした。
親鸞聖人は 「我が拡むるところの仏法、もし仏の意に適うなら、この枯れた竹に必ず芽も根も生じるであろう」 と持っていた竹の杖を大地に突き射されました。
その言葉のとおり、やがて竹の杖に根が張り芽が出ました。
この竹は親鸞聖人が逆さに杖を刺されたのか、枝葉が下に向いて繁茂し、後に立派な竹藪となりました。
大正11年国の天然記念物に指定されています。

真宗大谷派
鳥屋野院西方寺
新潟市中央区鳥屋野3丁目
黒埼I.C.より車で5分
 
 

 焼鮒 焼き鮒 焼きフナ やきふな

鳥屋野の対岸に山田という集落がありました。聖人は鳥屋野の草庵から山田にもお念仏を伝えにおいでになっていました。
建暦元年十一月、流罪をゆるされた聖人は、鳥屋野の草庵を出立され、信徒と共に山田で別れの宴を催されました。
その折、信徒の一人が焼いた鮒を聖人に献じました。
聖人は、つけていた袈裟を傍らの楠にかけて、「わが真宗のみ法、仏意にかない 念仏往生間違いなくんばこの鮒 かならず生きるべし」と念じ、この焼いた鮒を近くの山王神社境内の池に放されたところ、不思議にも鮒は生き返って泳ぎ出したと伝えられています。
それ以来、この付近の鮒には、焼いた跡のように色が黒く残っているとのことです。
また、寛政八年、山王神社境内の大楠の枝が大風のため折れてしまったので切ったところ、切り口に親鸞聖人のお姿焼き鮒の形が現れました。
人々は聖人の偉徳の現れとして山王神社の神官田代家に安置し聖人を偲ぶようになったとのことです。

真宗大谷派
山田院焼鮒山 誓慶寺
新潟市江南区平賀210
新潟中央I.C.より車で約10分
田代家 
新潟市西区山田646
黒埼I.C.から車で約5分


 繋ぎ榧 つなぎがや

ある日親鸞聖人が、護摩堂山 護摩堂城の城主宮崎但馬守に招かれて参上し、み仏の法話を説かれた折、城主は、お茶受けにと榧の実をさし出されました。この榧の実は、農民が年貢米の代りに納めたり、飢饉や洪水でお米の穫れない時に食用にしたもので、糸を通して珠数のように繋いで保存していたそうです。
親鸞聖人ほ、その一粒を地に植えて仏縁を説かれたところ、芽を出して生え茂り、実を結んだそうです。
しかも不思議なことに、青々とした葉が表と裏ひっくり返しになっていて、これをお手返しの榧とも呼んでおります。
  「我が跡を慕うて来いよ繋ぎ榧 み法のあとを通すひとすじ」
と聖人は詠まれています。
了玄寺の庭にある天然記念物の榧の老木(樹齢760年)は、500年ほど前、城跡から移植きれたものと伝えられています。

真宗大谷派 了玄寺
南蒲原郡田上町湯田上
JR信越本線田上駅から徒歩20分
 




 三度栗 さんどぐり

親鸞聖人が保田の里に布教に来られたおり、一人の機織りのお婆さんが、お念仏の教えにたいそう喜びました。お婆さんは、たまたま持っていた栗の実を焼いて親鸞聖人にさしあげました。
そして、お名号の交付を願いました。しかし、その場には一枚の紙もありません。
お婆さんは、たまたまそこにあった大切な織りかけの布を裂いてさし出し、聖人はその布に「南無阿弥陀仏」と書してお与えになりました。
聖人はその後、お婆さんからもらった焼栗を、帰る途中で「上野が原新山」というところで土に埋め、「わが勧むる弥陀の本願、末世に繁盛いたすならば、この栗ここに根芽を生じ、一年に三度花咲き実るであろう」とおおせになりました。
その言葉通り、栗の木は1年に三度花と実をつけたと伝えられています。
また、1枚の葉の先が2枚に別れて成長したともいわれています。
当時の木は枯れてしまいましたが、現在では若木が育ち、今でも1年に3度実をつけています。

真宗大谷派
焼栗山 孝順寺
阿賀野市保田
JR羽越本線水原駅からバス「石間中(いしまなか)」行(2時間に1本)に乗り、15分「横町」下車、徒歩2分
 









 片葉の葦 かたばのあし

親鸞聖人が越後で最初に流刑になった国府では、国分寺境内の庵に居住していたが、ある日この地の居多神社に詣でて「わが念願を守りて、その奇瑞をあらわし給え」と越後に念仏が広まることを願って念じたところ、境内に生えていた葦が一夜のうちに片葉になったと伝えられている。

居多神社
上越市五智6丁目1-11
直江津駅から2q、車で5分
 





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